日記

日記「捨てられないモノが意味すること」

私は人生で4回の引越しをした。

まぁ、いろいろと理由はあるにせよ、引越しを12、3年ほどの間に4回もするとなると、毎回、物を整理することになる。強制的な断捨離だ。その時はまだ、こんまりメソッドを知る由もなく、「ときめき」という基準はなかったので、要るか要らないか、それだけが私の判断基準であり、疲れてくると本能で捨てるかどうかを決めていった。

一回目の引越しは、地元から県外の大学へ進学したとき。2回目は社会人生活をスタートしたときで、3回目は転職したときだ。というのも、都会の満員電車で知らない人たちにもみくちゃにされるのに限界だったからだ。人が鉄の箱の中にぎゅうぎゅうに詰められていく様子は、まるで人間の缶詰めを作っているように思えた。

そういえば、満員電車で乗り合わせたOLさんがペットボトルのお水を飲んでいるのが目に入った瞬間、電車が揺れ、「うわっ!もしや!」と思った瞬間にその「OL水」が私のスーツに飛んできたこともあった。OLさんは、申し訳なさそうに私に千円札を握らせ、次の駅で去っていった。特に乗り換えの駅でもなかっただろうに、たった今、起こしてしまったOL水事件で被害者の私と同じ電車に居合わせるのがいたたまれなかったのだろう。

先日、B’zのライブの最前列で熱狂し、ボーカルの稲葉さんがかける通称「イナ水」を浴びて、あれほど歓喜していたことも忘れていた。私は水をかけられて喜ぶこともあるのに。

とにかく、私は朝からどんよりとしたオーラをまとう都会の電車通勤が嫌になり、職場から歩いていける、もしくは自転車やバス、タクシーでワンメーターほどの家と職場を探すことにしたのだ。それが3回目。

4回目は、楽しい過労で体力と精神の限界に達した私は、いったん人生の休憩をすることにし、地元へ帰るために引越しをした。

本当に楽しい過労だった。年齢、学歴、入社歴に関係なく、いろんなことを経験させて頂いたし、先輩にも恵まれた。しかし、「いろんな経験」をさせて頂く量がすさまじく、定時はいつも22時だった。本当の定時は17時。段々と麻痺してくるのか、22時は普通になり、20時台で帰ると家で何をすればいいのか分からず、暇が怖くて職場の人と飲みに行くか、大学の図書館で22時まで本を読むか税理士試験の勉強をしていた。

そして、ある夜の出来事が私を決断させた。

同じ職場の美しいアラサーの先輩が地下鉄のホームで一人、電車を待ちながら、コンビニで買ったであろうと思われるハイボールを飲んでいるのを見て、「これは駄目だ…」と思ったのだ。今なら、そんな自分を貫く先輩の姿をかっこいいとも思えるし、特に意見はない。

しかし、当時二十代の私には衝撃的な光景だった。「おっさんやん!私の将来、あれ!?」と一気に目が冴え、そのハイボールのせいではないけれど、そこからいろいろと考えることになった。暇がこわい、友人が何で笑っているのかわからない、ヨガで泣くなど、体力も精神的にも疲弊している自分に気づくことができた。その結果、いったん地元へ帰ることにした。

こんな4回の引越しを経て、断捨離に耐え、4回生き残った強者がいる。普通の人なら要らないものが私の手元にある。それは、小学生から使っている書道道具だ。

書道道具は捨てられない。

実家にも置いておけば良さそうなものであるが、執着に近いような、いや、手元にあるのが当たり前のような気もしていた。そんな中、ある人の助言で書道をやり直すことにした。書家として活動することを決めたのである。

きっと、捨てられない物には意味がある。人生のタイミングで自ら意味を見出すとも言える。今、この部屋に在るものがいつか人生に意味あるものになるかもしれない。

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yorie
「素敵な人になるために、どう生きるか」をテーマとして、少しづつ自分流に生きる日常のことを言葉にして発信しています。